誰にも気づかれないように、ゆっくりと、足音を立てないように、Fクラスへ向かう。今日は私のクラスも含めて、Fクラス以外のクラスは授業がない。Fクラスだけが、補習のために全員集められていた。鉄人の地獄補習を受けていた彼らには悪いけれど、私にとってそれはチャンスだった。鞄に入れた手紙がなくなっていないか確かめながら、何度も後ろを振り返る。誰もいるわけないけど。
手紙で告白なんて、今時ありえないのは重々承知だ。でも、直接言う勇気もなく、彼のメールアドレスも知らない私に、残された手段はこれしかなかった。文面はくどいのはダメ、封筒と便箋は女の子らしいものじゃないといけない、とか気を配ったら一週間もかかってしまったものの、その分『ラブレター』に見える程度のものはできたと思う。
この手紙を読んだら、彼はどんな反応をするだろう?
困った顔をするだろうか。あるいは、真っ赤になって私と目も合わせてくれなくなるかも。別に、目を合わせてくれなくても構わない。一番辛いのは、彼が私の手紙を読まないまま終わってしまうことだったから。
放課後のチャイムは三十分以上前に鳴った。きっと、彼以外のFクラスの人たちは皆帰った頃だろう。震える手で、Fクラスの教室の引き戸に手をかけた。開けようと力を込めると、耳障りな音がする。その音すら気にならない程度に、私は彼のことしか考えていなかった。
「あ、さん。待ってたよ」
窓から外を見ていたらしい彼が、私に気づいて振り向いた。いつもと同じ優しい笑顔なのに、今は眩しすぎた。これから伝えなければいけない想いを、口に出しづらくなる。姫路さんや島田さんを差し置いて、私が言っていいのかという気になってしまう。
「ありがとう吉井君…、私」
「待って」
私の言葉を遮って近づいてくる彼に、思考が止まる。思わず目を閉じてしまう。一瞬、彼の手が私の髪を撫でた。
「…?」
恐る恐る目を開けると、「埃ついてたから」と彼が微笑んでいた。こういうことを、違和感なくやってのけるあたり、性質が悪いと思う。勘違い、するから。火照った顔が熱い。
「それで、話って何? 僕何かした?」
彼はどうやら、本当に何も察していないらしい。吉井君らしい。かと言って、うやむやにして帰る気は無い。ここで潔く渡さないといけないのだから。
「あの、これ…」
何度も触ったせいか、少しぐしゃぐしゃになった手紙を、彼に差し出す。さすがにわかったらしく、彼も「ほえ? あ…ええええ!?」と驚いていた。そんなに驚くなんて、吉井君は私が何の用事でわざわざ呼んだと思ってたのだろうか。
「返事はいつでもいいから、読んでくれたら嬉しい…」
それだけ言うのが精一杯で、彼の顔を見る余裕なんてなかった。だからかもしれない。無意識のうちに、彼が「読んでおくね」とか「ありがとう」とか、言ってくれると期待していた。そんなの、ただのエゴでしかないのに。その時の私は、彼の気持ちを考える余裕なんて、これっぽっちもなかったのかもしれない。
「ごめん、さん」
それの意味が、わからなかった。
頭が真っ白になって、何と答えたらいいかわからない私に、彼は「好きな人がいるんだ」と真剣な顔をして言う。絶望、失意、悲壮。全部がごちゃ混ぜになったような感情に翻弄されて、私はもう何も考えられなかった。いいの、とか気の利いた言葉を言えない自分に嫌気がさす。どうすればいいのか。何を言えばいいのか。答えはどこにもない。
「…………」
沈黙に耐えかねたのは、私の方だった。息の詰まるような空気、と形容するのは簡単だけど、実際はもっともっと重くて、苦しくて、辛かった。私の恋は叶わない。何をしたって、誰に慰めてもらったって、その事実は変わりない。そのことをはっきりと思い知らされた。
「…よ、吉井君も頑張って…ね?」
無難な一言を何とか自分の中から絞り出して、さっさとこの部屋から出ようとした。当然、彼と向かい合うのが辛いからだ。それなのに、彼は「ごめん」とまた謝る。謝られるくらいなら、いっそ酷いことを言われてフラれた方がマシだった。私の手紙は、私の想いは、全部無駄だったんだって、諦めようって、思えるから。申し訳なさそうな顔をして謝られたら、また期待する。ちょっとは意味があったのかなって。まだ、頑張ってもいいかなって。
「もう、いいから。私の方こそごめん」
好きになって、ごめんなさい。諦めきれなくて、ごめんなさい。でも、いつかは諦めるから。貴方のことが好きで好きで仕方ないこの感情を忘れて、他の人を好きになる日が来るだろう。その時には、貴方に笑って「好きだったよ」と言えるようになりたい。
きみのことが、すきでした
(叶わないことに気づいたの)